2007年10月12日金曜日

社会のため、という自分のため

最近よく思うことがあります。



私が、事業を通じて社会に貢献する、と考えているのは誰のためになるのか、ということです。
あるとき、社会のためと言うことが極めて自然にしかも相当強く自分の中に発生したので、そんなことを考えたこともなかったのです。当然社会のためになるという事が目標ですので、社会のためにはなっていくのだろうということだけしか考えていませんでした。



改めて誰のためになるのかということを考えると、社会のためになるだけではなく、自分のためになるのだろうと思いました。



自分のためとは、色々な事にイヤになったり、諦めそうになったり、折れそうになったりしても、社会のためと思うことで、継続できるということです。
どうせ人間は死ぬのですから、明日死ぬか30年後に死ぬかの差しかありません。私は、社会のためというのがなければ別に明日死んでも30年後に死んでも同じだと思いますので、生きていくことに対するモチベーションがなくなってしまいます。



私が強く社会のため、と思うことで全てのモチベーションが高まり、それを継続することが出来るのです。



一方で自分のためと言うと、社会のためにとか口先だけで綺麗事を言って、裏では自分だけがお金を稼いでいい思いをしたいだけなのではないか、という風にも取れるかもしれません。
ですが、それは全く違います。



誤解を恐れずに言えば、私はそんなにお金に興味がありません。世間で、年収1億円だとか、若くしてアーリーリタイアで悠々自適だとか、株で大儲けしたとか、毎日おいしいものと食べたとか、フェラーリを購入したとか、そういうものには今は余り興味ないです。今何か欲しいものがあるかと言われれば、11月22日発売予定のPS3版「ウィニングイレブン2008」とか、Pioneer「PDP-6010HD」ぐらいのものです。PSPは新型を買ってしまいましたし。



昔からお金に興味が余りないわけではなく、ほんの3,4年前までは反対にお金に対する興味は異常といっていいほどありました。年柄年中お金のことばかり考えてお金に対する興味を突き詰めていった結果、急にお金に対する興味がなくなっていったのです。本当に自分でも不思議だと思います。
株の板に張り付いて毎日何十回とトレードしたこともありますし、海外も含めた不動産投資を真剣に検討したこともあります。高くてもいいので少しでもおいしいものを食べるために毎日色々なレストランに通い続けたこともありますし、ブランド品を買うために一生懸命になっていた時期もあります。六本木に暫く通ったこともありますし、銀座のお店にも何回か行ってみたこともあります。



しかし、どれもピンとくるものがありませんでした。
もしかしたら、本当の世界を知らないだけ、もっともっとお金を使ったら変わってくる、と言うことなのかもしれません。でも、なんだかそういう事の先に自分が本当に求めていたり、自分を幸せにしてくれるものがあるような気が全くしません。



そして、この感覚はこれからも変わる事がないと思います。



当時お金に対して持っていた興味より、今事業を通じて社会に貢献したいという気持ちが圧倒的に強いです。恐らく同じ土俵で比較することも出来ないくらい次元の違う差があります。
一旦、今のような強い気持ちを持ってしまったら、今更過去のピンとこないような気持ちに戻ることはできません。



ただ、両親に「あなたの欲しいものは余りないのかもしれないけれど、私たちはもっと欲しいものがあるわよ」と言われました。この場合、前後の話の流れから、私たちは親&妹&ワイフの事を指していたように思われますので、親&妹&ワイフにもっと欲しいものを買えというメッセージでしょうか。



彼女達にも、お金に興味をなくしてもらいたいものです。



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