2015年10月19日月曜日

「コスパ」が良いという言葉の気持ち悪さ

こんにちは。

10月も中旬になるとすっかり涼しくなって、私もついに出かけるときはシャツの上に上着を羽織るようになりました。でもそんな日に限って暑かかったり。つまり今日なんですが(笑)

さて、今日のテーマは「コスパ」ということについて思ったことがあるので書いてみたいと思います。 コスパというのは言うまでもなくコストパフォーマンスの略です。私もよくコスパが良い、悪いという言葉を使うのですが、この言葉はよくよく注意して使わないと危険な要素を含んでいると思いましたので、自戒の念も含めてブログの記事にしておこうと思いました。

そもそもコスパが良いといった時は、コストに比べてパフォーマンスが高いという事を意味します。では何をもってパフォーマンスが高いと決めるのでしょうか。ある人にとってはパフォーマンスが高いものもあるし、同じものでも別の人にはパフォーマンスが低いものもあるでしょう。

例えば、お腹を満たす事だけを考えたら吉野家などの牛丼はお腹いっぱいになるにもかかわらずコストは400円もかかりません。では、世の中で数あるランチの中で吉野家が一番コスパが良くて、それ以外はコスパが悪いかと言われたら違和感を覚える人が多いのではないでしょうか。少なくとも自分は吉野家のコスパが一番良いとは思いません。

価格は確かに安いのでコストは低いと思いますが、それに見合ったパフォーマンスが他のものに比べて特に高いかと言われるとそうは思いません。もちろんどうしても牛丼が食べたい時には吉野家に行くこともあります。その時はコスパが良いから行くわけではなく、コスパに関係なくその時吉野家が食べたいから行くわけです。

逆に東京で私が一番好きなお寿司屋さんは一人25,000円以上しますがコスパが良いと思います。確かに価格は高いですが、それ以上のパフォーマンスがあると私は思いますし、反対にもっと安いすしざんまいに行くよりもコスパは良いと私は思います。もちろんそのようなお寿司屋さんはコスパが悪くてすしざんまいの方がコスパが良いと思う人もいるでしょう。

つまりコスパというのは多分に個人の価値観を含んだ概念なので人によって重視するものが違う以上、他人と何かを比較する基準になり得ないということです。もちろん私の中であるものと別のものを比べるときには重要な基準として利用できますが、それは私という同じ価値観の中での話だからです。他にも私の中だけではなく価値観の近い人同士、例えば親兄弟、夫婦、子供、友人などの間でも重要な基準として利用可能だと思います。

そういう事を前提に考えると自分以外の人にコスパが良い、悪い、という話をしたり、場合によってはそれを強要するというのは、図らずも他人に自分の価値観を押し付けていることに他なりません。ハッキリ言って他人の価値観を押し付けられると不愉快ですよね(笑)。

自分はこういうものがコスパが良い/悪いと思ってるという風に相手に自分を理解してもらうツールとしてコスパを利用するのは良いと思いますが、当然これがコスパが良い/悪いよねという話は基本的にはNGだと思います。

特に最近は金銭面だけのメリットを捉えてコスパが良いとかコスパが悪いとか論じる風潮を感じていてなんとも言えない気持ち悪さを感じます。専業主婦はコスパが悪いとか、結婚はコスパが悪いとか、子供を持つことはコスパが悪いとかです。

当たり前の話かもしれませんが、世の中の出来事はコスパだけでは測れないし、コスパというのは万国共通の概念ではない、むしろすごく狭い世界でしか通用しない概念でしかないということです。

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