2014年8月21日木曜日

リーマンショックの時にaegifに起きたこと(後編)

前回フジイメセン「リーマンショックの時にaegifに起きたこと(中編)」に引き続き、2008年のリーマンショック前後にaegifで起こったことと少しだけ私の事を書いてみたいと思います。

リーマン・ショックの時にaegifに起きたこと(前編)」はこちら。 

たとえ潰れるとしてもやるべき事を全てやってから

そういう精神状況の中で日々過ごしてはいましたが、一方で絶対に最後まで諦めたくないという気持ちは強く持っていました。もし最終的にaegifが倒産してしまったとしても今出来る事をしないで終わることは恥ずかしいことだと思ったからです。

過去の意思決定は変えられませんが、今からやることは変えられます。 変えられる事を変えずに後で後悔するのは絶対にイヤでした。それに、aegifに来てくれたメンバのキャリアに傷をつけてしまうとしても、自分が出来ることを全てやった上でなければ人として説明がつきません。

7ヶ月間、他の取締役にはいつも泣き言ばかり言っていましたが取締役以外のメンバには余裕を持って振舞っていました。どんなに失注を繰り返しても、その時私達に出来ることは新たに提案し続ける事だけです。半年後、一年後に受注するために今は種まきの時期だと自分を言い聞かせてコツコツ提案を続けていました。不安がる他のメンバにもそう伝え続けました。 

父の教え

それから今にも心が折れそうな私を支えていてくれたことがあります。それは父の教えです。私の父は年商300億円前後の中小企業のサラリーマンでしたが、最終的にはその会社の社長を数年間していました。雇われとは言え経営者ですから経営者の考えの様なものをよく私に話してくれていました。とは言え、私はその時学生でしたのでいつも同じ話しばかりで退屈だななんて思いながら聞いていました。
"人生はロープを登っている様なものだから、嵐の時でも決して手を離してはいけない。そういう時は登らなくてもいいからとにかくその場に留まって嵐が通りすぎていくの待ちなさい。そして嵐が過ぎたらまた登り始めれば良い。"
 一回手を離してしまうと落ちてしまいますからまた登り始めた場所に戻るのは大変です。それどころか一回落ちてしまえば落下する速度はドンドン加速していきますので落ちるのを止めるだけでも一苦労です。であれば、その場で何もできなくてもいいからとにかく維持するだけでも意味があるということです。

私は2008年の間ずっと、今がその嵐の時でとても苦しくて手を離してしまいたいのだけれどもここで何とか耐えて維持するだけでも意味があるんだと思っていました。普段は父の教えや父の言ったことなどを意識することなどありませんし、むしろ前時代の話だから今は違うんだと思っていましたが、この父の教えのお陰でリーマンショック前後の7ヶ月に心を折らずに耐えられたのだと思い感謝をしています。 

資金不足にどう対応するのか

お金が本当に無くなった時にどうするか。
入ってくる金額は簡単に増やすことはできませんから、どこから支払を止めるかというシミュレーションを繰り返していました。一番最初に支払を止めたのは役員報酬です。当然私はゼロにして最終的には実家に居候すればいいやと思っていましたが、妻子がいる取締役もいますし生きていくために役員報酬ゼロというわけにはいきません。私はみんなにどれぐらいまでだったら耐えられるか確認してもらいました。

ある取締役は専業主婦の奥さんと子どもがいるにも関わらず役員報酬半分であれば切り詰めれば生活できるし半年間はゼロでも大丈夫という話をしてくれました。他の取締役は妻子がいる取締役の方が生活が大変だろうから独身の自分の分を削ってでもそちらに回してくれという話をしてくれました。

結果的にまずは7月から全員の役員報酬を半額にして、その後の状況次第で更にカットするという判断に落ち着きました。役員報酬をカットできるうちはまずは役員報酬をカットし切って、それでもどうしようもなければ次のステップに進もうと。結果的にはこれ以上役員報酬をカットをすることはありませんでしたが、その時は先のことも分かりませんし今後の更なる役員報酬カットは避けられないと考えていました。この時の事は今でもはっきり覚えており、一言も文句も言わず当然のこととして対応してくれた取締役には本当に感謝をしています。 

これで生き延びられる

提案して失注して、また提案してまた失注してを7ヶ月間ずっと繰り返していました。とにかく出来ることは提案をすることだけですから失注してもめげずに提案を繰り返しました。そしてついに待ちに待ったその日が来ました。そう、7ヶ月ぶりの新規案件の受注です。

この時は受注の嬉しさよりも、これで暫く生き延びれるという安堵感の方が大きかったです。10月も赤字だったら通期で赤字に突入、すなわち余力はもうほとんどないという状況に追い詰められていたからです。この案件のお陰で10月は単月で赤字ではあるけれどもほぼトントンという所まで持って行けました。

不思議なもので一件決まりだすと、堰を切ったように受注が続きます。あれよあれよとどんどん受注して、気がついたら第4四半期は第3四半期の1.5倍の業績になっていました。当然11月以降は単月黒字転換をして2008年も無事通期黒字で終えることができました

aegif創業以来最も倒産に近づいた危機を事業の縮小も従業員のリストラも給与カットも遅配もオフィス移転も外部への支払滞留も危ないお金を借りることも一切なく無事乗り越えることができた瞬間でした。

・・・

これでリーマンショックの時にaegifに起きたことは全てです。当初の想定とは異なり三回にもわたる長文になってしまいました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。起きたことは以上ですが、次回はリーマンショックの時にaegifに起きたことから学んだことを書いてみたいと思います。

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