2007年8月30日木曜日

死を考える

私はよく死ということを考えます。



絶えず死にたいと思っているということではありません。
自分が自然に死ぬときに、どのように死ぬのかということをよく考えているということです。



明確に自分の死を意識し始めたのは20歳を過ぎてからですが、そのような意識は年々強くなっています。



人生は1回しかありませんから、自分は幸せだったと思って死にたいです。
他の人に分かってもらえなかったとしても、自分が満足して死ねれば合格点だと思います。
でもどうせなら、家族にも全員誇りに思ってもらって死にたいです。
会社のメンバーにも一緒にいて楽しかったと言われて死にたいです。
世界中の人に、あなたがいてよかった、と言われて死にたいです。

このような死を迎えるためには、毎日素晴らしい死が迎えられるような生き方をしなければならないのだと思います。
なぜなら、生きるという活動の全てが死に繋がっており、きっと、一瞬頭をよぎったこと、などの本当に些細な事ですら、何か影響があるのだろうと思うからです。



自分は素晴らしい死を迎えられる所まで全く到達していません。
10年前、初めて自分の死を意識した時からその気持ちは変わっていません。きっとまだ精一杯生きていないですし、大したことは成し遂げていないからでしょう。
精一杯生きていけば、気が付いたらそういう所まで達しているのかなと今は思っています。



全て繋がってるという事をいつも忘れないようにします。



2007年8月28日火曜日

5%の何か

インターネットというものは本当に便利です。



私は知りたいことが出てきたら、まずはフリー百科事典「Wikipedia」で概要を調べます。

その後、googleでページ検索、画像検索を行い、個別のWebSiteBlogからもうちょっと生の声を調べます。

情報量という観点で言えば多くの場合インターネットからの情報で知りたいことのほとんどは入手することが出来ると思います。

それでも情報量が足りず書物が必要であれば、Amazonなどで該当しそうな書物を検索・注文し、早ければ翌日には書物が手元に届きます。



しかし、インターネットからの情報を大量に受け取っており、ある意味インターネットに依存しているように見える私ですが、実はインターネットからの情報で全てを知ることが出来ると思っているわけではありません。



インターネットを使って散々調べつくし、該当しそうな本も読んだ後に、もっと詳しく知りたいと思うことがあります。しかし、時間を掛け情報量をいくら増やしても全てを知ることは出来ないという限界に何度も阻まれているからです。
私の直感的なイメージでは、知りたかったことのうち95%ぐらいまではすぐに分かるけれども、残りの5%はいくら調べても永遠に分からないのではないか、と考えています。



では、その最後の5%が何なのか。

それは哲学や思想なのか、直感なのか、経験なのか、時間を掛けて考えることなのか、運なのか、努力なのか、乗り越えた苦しみの量なのか、神様からの啓示なのか、などとあれこれ考えました。結果的には、そういうようなものが積み重なって自分の内面的な蓄積となり、それらが七転八倒して突然出てくるものなのだと思います。

100%へ近づくためには、情報をある程度外部から得たら、追加の情報を外部から求めるのではなく、その情報を自分の中の色々な蓄積物に当てはめ、自分の内面から新たな情報を生みださければいけない、ということです。
その新たな情報を生み出すために七転八倒し、何かが出てくるか何も出てこないかも分からない状況で模索し続けなければなりません。



永遠に100%を知ることは出来ないような気がしますが、0.1%でも100%に近づきたいと思っています。100%に近づけば近づくほど、世界の景色が大きく変わるはずだからです。



今までにそういう景色が変わった瞬間を何回か味わっている私としては、次の景色はどんなものなのだろうと思い、想像を膨らましています。
その領域にいる自分を想像すると、本当に楽しくなってしまいます。





2007年8月20日月曜日

サブプライム問題

先週の大きな問題といえば、なんと言ってもサブプライム問題です。



サブプライムとは、金融機関の審査によって信用力があると認められた債務者(プライム)に対して、信用力がないとされた債務者のことをいい、サブプライムローンとはサブプライム層を対象とした住宅ローンのことを指します。
一般的には、所得が低い層に対する貸付ですが、他にも過剰に債務を負って不動産投資を行っている層なども含まれるようです。



サブプライムローン市場がバブル化しているのではないかということは、以前から問題視されていました。それが、今年に入りサブプライム専門の大手金融機関が破綻したことや、米格付け会社がサブプライムローンを組み込んだ住宅ローン担保証券を相次いで格下げしたことをきっかけに、サブプライム問題が顕在化しました。サブプライムローンは金融経済の最先端で発生し、我々にとってはほとんどブラックボックスのような状態となっているのです。しかも我々に大きな影響を及ぼす可能性を秘めています。



私は改めて金融経済というのは怖いものだと思いました。
実体経済と関係のないところで、実体経済の数倍もの規模で動いています。誰にも気付かれず何らかの矛盾が発生し徐々に蓄積していきます。そしてある日突然、その矛盾が莫大な損失として顕在化します。これはよく「調整」という言葉で表現されています。
サブプライム問題に限らず、1992年の日本のバブル崩壊、1997年のアジア通貨危機1999年のLTCM破綻、2000年のITバブル崩壊などの大きな調整が記憶に新しいです。その後は世界的に安定した好景気となっていたので久しぶりの大型の調整が来たという感じだと思います。
サブプライムですが、最大1000億ドル(約12兆円)の損失が発生する可能性があることが示唆されています。金額が大きすぎるため実感が沸きませんが、トヨタの当期純利益7年分、日本の消費税6%、日本の平均的なサラリーマン200万人分の年収に相当する損失と考えば物凄い金額です。



私も以前、株式売買を積極的に行っていましたが、今は専ら投資信託を購入して放置するだけで、自ら売買することは全くありません。それは単に株式売買の才能がなかった(というより身近に天才的な人がたくさんおり、自分はその領域まで到達できそうもなく限界を感じた)だけではなく、投資関連の仕事を行う中でこのような金融経済の怖さを知り、また無意味な感じがしたからです。



株式売買を上手に行い、どんなに儲かったとしてもそれは反対に損をしている人がいますのでゼロサムです。つまり、株式で儲けても、それだけでは何ら社会に貢献していることになりません。もちろんそのお金を上手に活用できれば何らかの形で社会に貢献できるのだと思いますが、私には上手に活用する具体的なイメージが全く掴めませんでした。長期的な視点に立った、社会に役に立つような投資行動を取ればよかったのでしょうが、私は自分で何でもやりたい方なので、それは向いていないと思いました。結果、利益を得るために大きな精神的なプレッシャーを受ける割に、利益の金額もたいしたことなくまた人の役に立っているような気も全くしませんでした。




aegifは現在、株式投資等は行わずaegifのビジネスに集中しています。今後もこの方針は変わりません。
ただ一方で、金融経済は実体経済と経済全体の景気へ強い影響力を持っていますので、注意しなければならないと思っています。今は経済がグローバル化していますので、海外の住宅ローンの問題が、一見全く関係ないように見えるaegifのビジネスに大きな影響を及ぼす可能性は否定できないからです。



2007年8月13日月曜日

20代を振り返って

今月、私もとうとう30歳になってしまいました。
20代を終えたというのは、何となく感慨深いものがあります。10年前に20歳になった時の事ををふと思い出しました。


私は20歳になってから、自分にとってどんな些細な事でもいいので、何かをしたと言えるような1年にしようと毎年思っていました。


そういう意味では、私の20代を今振り返ってみればなんとなく合格点(70点ぐらいでしょうか)な気がします。
特別なことではありませんが、卒業をしました、就職をしました、転職をしました。
資格を取りました、自分の専門分野を見つけることが出来ました。
学生時代からの目標の一つであった起業をすることが出来ました、会社のメンバーも増えてきました、お客様も増えてきました。
色々な人に出会いました、友人が何人か出来ました、人生の先輩や先生が出来ました。


ここでは全ては書ききれませんが、そうやって考えてみると20代の間に随分色々なことをしたものだと思います。
それは裏を返せばそれなりのスキルアップやキャリアアップをしたのかなという気もします。


世間では、スキルアップやキャリアアップが大切だというような事を言いますが、私は決してそうだとは思っていません。


一生懸命考えながら自分らしく物事にこだわってきた結果、様々な事ができて、あくまでもその副産物としてスキルアップやキャリアアップが出来たのではないかと思います。
そういう意味では、私はスキルアップやキャリアアップには全く興味がありませんでした。


30代の10年間は20代のように、毎年自分にとってどんな些細な事でもいいので、何かをしたと言えるような1年にしよう、ということだけではなく、人のため社会のために良い影響を与える事を何か一つでも成し遂げたい、と思っています。



2007年8月6日月曜日

正しい道

朝、日経新聞を見ると、フルキャストの不正が1面にドン。また不正ですか。



ここ数年の不正のニュース。
フルキャストグッドウィルグループヒューザーライブドアM&Aコンサルティング



どれもこれも、経営陣に聞いてみたい。
そんなにカネが大切なのか、カネのためになんでもやっていいと思ってるのか。
死ぬときに何百億円も持っていれば本当に幸せなのか。
死ぬときには、いいことした、社会に役に立ったと思って死にたくないのか。



全員、何を考えてるんだと疑問に思う。
フルキャストは、業務改善命令が出た直後にまた同じ不正をして、すいませんで許してもらえると本当に思ってたのか。それとも1回見つかってるのに、次は見つからないと思ってたのか。



グッドウィルグループのコムスンは本当に驚いた。別のグループ内部の会社に事業を譲渡して、切り抜けようとしたんだと。ありえない。全くもってありえない。そんなことで許されても、お天道様の下を全うな気持ちで歩けないでしょう。申し訳ないって気持ちはないのか。お年寄り相手の、しかも福祉に携わる仕事をしている人達が、そんな脱法行為をすることに。



全部、つぶれていいと思う。自分にはこれらの会社が社会に存在する意義が見当たらない。



それにしてもどうなってる、日本人。


日本には武士道ってのがあったはず。


「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」とか、「武士は食わねど高楊枝」とか、そう生きられたらかっこいいんじゃないの。





不正を繰り返してまで、売上が、カネが欲しいのか。いや、ほしいんだろうけど。
そうやって稼いだカネが何を変えてくれるのか、自分をそんなに幸せにしてくれるのか。自分には分からない。
別にお金を稼ぐことを否定しているわけではない。
社会に役に立つ事業を行うために、利益を得ることは必要だというのは、以前Blogに記載している。
孔子の言葉に、「義は利の本なり」であるとか、「利は義の和である」とか言われている。自分は孔子のことには決して詳しいわけではないが、そりゃそうだと思っている。義に基づかない利は長期的にはありえない。



で、自分は何がいいたいのか。
単に批判がしたいわけでも、日本はダメだと連呼したいわけでもない。



社会に存在する意義がある人間として生き、社会に存在する意義のある会社を創っていく。そんなに社会は甘くないよとか、若造の戯言だとか、綺麗ごとだと言われたとしても正しい道というのは必ずあるはず。探せるはず。



人にそういうのがあるはずだからやってみて、といっても始まらない。まず自分でやらないと。自分でやる。やってみて証明する。



志のない人間も一杯いるけれど、そうでもない人間も一杯いる。
日本の若者だって捨てたものじゃない。



「生きとし生ける人がみな幸せになりますように。」



そういうことを真剣に考えて事業を始める人がいてもいいじゃない。