2007年7月31日火曜日
2007夏 参院選
ちなみに私が住んでいる東京選挙区の当選者は、以下の5名でした。
1.大河原雅子(民主党)
2.山口那津男(公明党)
3.鈴木寛(民主党)
4.丸川珠代(自民党)
5.川田龍平(無所属)
現職自民党候補の保坂三蔵さん、1956年から50年以上議席を守ってきた共産党は落選という結果になりました。私が個人的に注目していた、丸川珠代さん、川田龍平さんは当選されました。
私は、学生の頃に知人の衆議院選挙のお手伝いをボランティアで何回か行ったことがあります。その時は朝から晩まで毎日睡眠時間を削ってひたすら選挙活動のお手伝いです。基本的に肉体労働ですし絶えず誰かに見られているという精神的なプレッシャーもあり、選挙の終盤にはもう何がなんだか分からないぐらい憔悴します。ただのボランティアに過ぎない私でもそのような状態ですので、候補者やその家族の疲労は想像に絶するものがあります。
その結果、当選する事もあれば落選することもあります。その時の運と普段の候補者の姿勢、態度、発言などと選挙活動でのひたむきさの総合得点によって当落が決まるのだと思います。
私は、応援していた候補が当選したことも落選したこともあります。選挙活動に携わっているうちに自分がまるで候補者であるかのような気持ちになり、選挙に立候補するということについて深くを感じたことがあります。
当選すれば自分のメッセージを信認してくれた人達に対して感謝の気持ちで一杯になります。それは、自分を応援してくれた人達の信認を無にしなくて済んだからです。自分を応援してくれた人達が自分を信認してよかったと思ってもらいたいと思います。
落選すれば自分のメッセージを信認してくれた人達に対して申し訳ない気持ちで一杯になります。それは、自分を応援してくれた人達の信認をその場では無にしてしまったからです。自分を応援してくれた人達の信認を完全な無にしないためにも次に繋げなくてはならないと思います。
つまり何れにせよ、選挙に出て有権者の皆様に信認して頂くという事は、重い責務を選挙後にも長い間背負っていくということです。それは、選挙で当選しても落選しても変わることはありません。
そういう視点から、私は川田龍平さんと丸川珠代さんに注目していました。彼らが事前予測で東京選挙区の5議席目を争っているということ、年齢が近いということ、知名度が高いということもありますが、主な理由は彼らの人生の軌跡からです。正直に言えば、川田さんには肯定的、丸川さんには否定的でした。
川田龍平さんと丸川さんは全く異なる人生の軌跡を歩んでいます。川田さんは10歳でHIV感染の宣告という、当時死刑宣告にも等しい苦しみや悩みへ立ち向かってきました。反対に、丸川珠代さんは東京大学卒業後、テレビ朝日の女子アナウンサーという誰もがうらやむようなキャリアを経て、人生に対する苦しみや悩みなどないように思えます。
結局、有権者は川田さんへは過去の困難に立ち向かってきた実績、丸川さんへは選挙活動中のひたむきさからの期待で信認を与えたのではないかと思います。この二人が政治という場でどのように活躍していくのか、今回の信認へ応え責任を全うすることが出来るのか、今後が楽しみです。
2007年7月26日木曜日
たった1ミリ
先週末に第136回全英オープンがありました。
最終日、私は眠い目をこすりながら最終ホールまで見ていました。プレーオフになった瞬間に、多分パドレイグが勝つだろうと思い、プレーオフは見ずに寝てしまいました。
最終ホールまで緊迫した試合で、最終的にプレーオフを制して優勝したのはやはりパドレイグ・ハリントンでした。初日から3日までずっと首位を守っていたセルヒオ・ガルシアは最終日にスコアを2つ落とし、残念ながら2位となってしまいました。
特に、最終ホールの戦いは壮絶でした。最終ホールに先に入ったのはパドレイグです。その時点ではパドレイグがガルシアより1打差で勝っており普通に考えれば攻めるゴルフをする必要はないような状況です。しかし、パドレイグは目一杯攻め、その事が裏目に出てしまいダブルボギーとしてしまいます。ティショットでバリー・バーンに入れてしまい、さらにリカバリを狙ったショットがまたバリー・バーンへ。リカバリショットはグリーンを狙わず刻んでいけばボギーで済んだはずです。
そのため、ガルシアが最終ホールに来たときはガルシアが1打差で勝っていました。つまり最終ホールをパーで回れば勝てる状態です。彼はティショットはラフへ、2打目もバンカーに入れてしまいますが、なんとかグリーンに乗せ、3メートルのパーパットです。
1ミリです。たった1ミリ。
彼のパーパットはカップの淵に蹴られてしまいます。
パットが終わった後、ガルシアは魂が抜けたようにパターに頭を持たれかけて暫く動けないような状態でした。
ここで私はかなり高い確率でパドレイグが勝つだろうと思い、テレビを消しました。
私はパドレイグには心から拍手をしたいと思います。私も同じ状況になったらリカバリショットでグリーンを狙う挑戦をすると思います。なぜなら、もし万が
一、安全策を取って負けてしまったらその後ずっと後悔し続ける気がするからです。しかも全英オープンという大舞台で、もしかしたら一生に1回しかないチャ
ンスかもしれません。それだったら、最後まで自分の思うままに挑戦したいと思います。まさに「人事を尽くして天命を待つ」です。結果、勝てれば嬉しいですし、負けたとしても悔しいと思い反省はしますが後悔はしないと思います。
実は私は、ゴルフは打ちっぱなしにたまに行くぐらいでそんなに詳しいわけでも熱中しているわけでもありません。今回、全英オープンが私の心に残ったのは、彼が勝ったという事だけではなく、勝利へのプロセス、そしてたった1ミリという運命のあやに対してです。
2007年7月19日木曜日
喜んでもらいたい!
前回のBlog「商品力」の中で、商品力を持ったうどんを提供できるのは、お客様へおいしいものを食べてもらい、喜んでもらいたいという強い気持ちからでしょう、という事を記載させていただきました。
お客様へ喜んでもらいたいというのは、一般的に言われることで一瞬本当にそう思っているのかと疑ってしまうかもしれません。しかし、私は自分の経験から素直にその気持ちを感じることができます。
要は、自分へ何かしてくれた人に対して感謝する、感謝したことをお返ししたいと思う、そうすることで自分へ何かいいことがある、ということです。
うどんに関して言えば、
自分達が売りたいと思っている商品を、多くの選択肢の中から選び時間とお金をかけてわざわざ買いに来てくれるお客様へ感謝する、
お客様へ感謝したことをお返しするために喜んでもらいたいと思う、
その結果お客様に喜んでもらえれば、また自分達の商品を購入してくれる、ということです。
この順番が逆になると全ての事はうまくいかなくなってしまうのだと思います。
その中で、感謝したことをお返ししたいと思う、ということがお客様へ喜んでもらいたいという気持ちなのだと思います。
実は私が、こういう風に思うようになったのは公認会計士の資格を取った頃でした。
私は、両親が専門学校の学費を出してくれたことに対して感謝をしました。
そしてその両親の期待に応えるために、1年半にわたり何度も挫けそうになりながらも最後までやり遂げることができました。
その結果、運よく試験に合格することが出来ました。
自分のために試験に受かりたい、という気持ちだけでは最後まで勉強が続かず途中で挫折していたと思います。
当時、今とは違い就職氷河期の真っ只中で、何社か外資系の金融機関およびコンサルティングファームの面接に行きましたが、厳しいことを言われたり、そもそも相手にされなかったりして、かなり落ち込んでいました。その中でなんとか、PWCコンサルティング㈱(現IBMビジネスコンサルティングサービス㈱)に内定を頂き、翌年の11月に入社する事がきまりました。
しかし、私は就職活動を経てこのまま社会人になることへの強い危機感を持ち、なんとかせねばと焦っていました。そんな中で、目に付いたのが公認会計士の資格です。何名かの友人が既に在学中に取得しており、チヤホヤされていたので、この資格を取って自分に+αをつけたいと思いました。
その時の私と言えば、大学3年間の成績はボロボロで、4年生になっても38単位(過去に私が最も多く単位を取得したときでも36単位でした)も取り残して、資格取得(合格率は8%弱です)というより留年の危機でしたので今思えば無謀な計画です。
しかも、専門学校の学費は1年で100万円程度かかります。当然そのような私ですから、計画的に貯金などしているわけはありません。
思いつく解決方法は両親しかありませんでしたので両親にお願いしました。
私の両親は快諾してくれ、ポンと学費を出してくれました。ゴチャゴチャ言わずに出してくれたことに今でも感謝しています。
その後本格的に勉強を始めましたが、とにかく勉強が辛いの一言です。勉強したてですから成績は上がらない、上級生(過年度受験生)の話についていけず不安になる、朝早いときは7時から授業が始まる、合格が見えない、大学の単位を取らないと留年する、などの理由から、また、就職先が決まっている安心感もあり、本当に毎日挫折しそうになっていました。
今でも覚えていますが、勉強を始めて半年ぐらい経ったときに上級生と合流するのですが、その時の簿記の答錬は200点満点で49点でした。また、第1回論文式全国模試は約3000人中1426位というとても合格できるような成績ではありませんでした。第2回も500位ぐらいだったと思います。全部で6回ある短答式の模試でも50点満点中22点~25点(合格ラインは30点強です)しか取れませんでした。
その時に挫折しないで続けられたのは、やはり両親の期待を裏切りたくない、喜んでもらいたい、という強い気持ちからでした。
その結果、最後まで必死になって勉強を続けることができ、運よく合格することが出来ました。
3日間の試験が終わった時に合格したかもしれないと思えるぐらい満足いく点数が取れました。
また、大学も無事卒業することができ、合格発表日の翌月に無事PWCコンサルティング㈱に入社することが出来ました。
この結果と過程は私の生き方に大きな影響を与えています。「人事を尽くして天命を待つ」「事業を通じて社会に貢献する」「信念と継続」といったことを考えたり、素直に受け入れられたりするのもこの体験があるからだと思います。
今でも初心を忘れないように、時々この事を思い出すようにしています。
2007年7月13日金曜日
商品力
先週末に、山口県宇部市の「麺工棒」といううどん屋さんに行きました。本格的なさぬきうどんです。
このお店の店長は実は私の従兄弟なのです。
最初は数年前に、うどん屋さんを始めるから経理を教えて欲しいという理由で行ったのがきっかけだったのですが、あまりにもうどんがおいしいので毎年うどんを食べるためだけに私の友人達をつれて訪問しています。
学生時代、本場香川県へ3回もうどん旅行に行ったことのあるCTO石井も絶賛のおいしさですので、ぜひ機会があれば立ち寄ってみてください。
このお店、私の親戚えこひいきではなく、人口18万人弱しかない山口県宇部市にも関わらず行列が出来る人気店です。お昼の4時間の間に200人~300人もの人が来店します。
なぜ、人口18万人弱しかいない山口県宇部市でこんなに集客できるのでしょうか。
メニューはうどんと天ぷらとおにぎりだけです。
それは、一言で表現すれば、「商品力」ということに尽きると思います。
まずは、飲食店の基本だと思いますが、うどんそのものがおいしいということです。
麺工棒は自分たちのうどんに対して全く妥協がありません。
例えば、素材は全国各地のものを自分たちで食べ歩き、納得したものだけを厳選して使用しています。
営業時間はお昼の4時間だけですが、出汁、麺、おにぎり、天ぷらなどの準備に営業時間の倍以上の時間をかけています。
そして、毎日食べても飽きない工夫がされています。それは、味付けがさっぱりしていることや、うどんに天ぷらとおにぎりを追加するという様なバリエーションがあるということです。
また、うどん一杯280円~380円と値段が安いため、コストパフォーマンスにも優れています。
このような「商品力」を持ったうどんを提供できるのは、彼らがお客様においしいものを食べてもらい、喜んでもらいたいという強い気持ちをもっているからでしょう。
その結果として、お客様が毎日、他の様々な商品と比較して選択した中で最も優れた商品の一つが麺工棒のうどんなのだと思います。
私はまたうどんが食べたいです。
aegifの商品を自信を持ってお客様に提供出来るように努力しなければと思います。
2007年7月11日水曜日
フジ子・ヘミング
特集番組の中では十分演奏を聴くことが出来なかったので、早速「奇蹟のカンパネラ」と「カンタービレ」という2枚のアルバムを買いました。その音色は深く切ないような本当に素晴らしいものでした。
実は私も15年間弱、ピアノを習っていました。私が最後に発表会で弾いた曲はショパンの「ノクターン 作品9-2」でした。「奇蹟のカンパネラ」の8曲目に収録されています。
私としては毎日何時間もの練習を何ヶ月も続けて、本番ではかなり上手に弾いたつもりでいましたが、彼女の弾くそれとは全く別の曲のようです。同じ譜面でも解釈や経験、そもそも歩んでいる人生が異なると本当に違うものなんだな、と感心しました。
そこで、私と彼女の差について考えてみました。
彼女は才能があり、天才と言われ、音楽に関する高度な教育を受けています。東京芸大で音楽を学び、在籍しているときから様々な賞を受賞していますし、その後ベルリン国立音楽学校を優秀な成績で卒業しています。
しかし、私と彼女の大きな差を説明するのに才能や天才や教育の差という事だけでは何となく足りないような気がします。
私が彼女の音楽を素晴らしいと思い感動した一番の理由は、彼女が音楽に対する強い信念を持ち、様々な困難にあっても乗り越えてその信念を70を過ぎた今まで継続させている事なのだと思います。そしてその事によって、彼女は陽の目を浴びて成功し、ピアノの演奏だけではなくその生き方に対して皆から高い評価を得て尊敬されています。
まさに、以前フジイメセンの「信念と継続」に記載した通りです。
私はピアノに対して才能もなく、天才でもなく、音楽に関する高度な教育を受けたわけでもありません。またピアノに対する確固たる信念もなく、継続できませんでした。ピアノを続けていた理由は完全に惰性で、大学受験のためという都合の良い言い訳が出来たタイミングでやめてしまいました。
私は、人生の貴重な時間や労力を惰性のために費やしてしまうことも、適当な理由でやめてしまうことも、もう二度としたくないと思います。ピアノを習うならもっと真剣に習っておけばよかったですし、そうでないなら何かほかの事に真剣に取り組んでいればよかったと思い後悔しています。
自分の信念を強く持ち、継続させて、いつか彼女のように成功したいと改めて思いました。
家に当時のピアノがまだ置いてありますので、今のこのこの気持ちを忘れてしまわないようにたまには弾いてみようと思います。
2007年7月2日月曜日
人と人との繋がり
先週Blogでも軽く紹介しましたが、6月30日に「BEER! "SUMMER NIGHT CRUISE 07"」というイベントを行いました。
aegifのメンバーを含め総勢200名近い方々に参加していただいて、大盛況のうちに終了しました。参加してくださった皆様、イベントを運営してくださった社内、社外の皆様には大変感謝をしております。
このイベントは丁度熱くなり始めたこの季節に、船の上で気持ちよい風を受けながら皆でビールを飲みましょう、というものです。他にも同時に学生との交流があったり、屋上デッキにDJブースを設けたりしてコミュニケーションを促進するような仕掛けも行っています。
このイベントを通して改めて思ったことがあります。
それは人と人の繋がりというのは、本当に凄いことだ、ということです。
今回このイベントを行おうという話になり、皆さんに参加希望を募ったところ友人が友人を呼ぶという形でどんどん参加希望者が増え、告知してから1ヶ月もたたずに参加希望者が200名以上になりました。定員を200名としていたため、その時点からキャンセル待ちとなり、キャンセル待ちの方も何人も出てるような状況でした。
もし私が一人で何かイベントを行おうと思っても、せいぜい数十人ぐらいしか参加いただけないのではないかと思います。それが皆の協力を得て人から人へと渡ることであっという間に200名超になってしまいました。
この人と人の繋がりとは何なのかと考えました。
これはきっと、お互いの信頼関係の輪なんだと私は思いました。そしてその信頼関係の輪の顕れとして、結果的に今回のイベントが大盛況になったのだと思います。この信頼関係というのは、一人一人が人生の中で培ってきたもので、すぐには出来上がるものではありませんし、目に見えて出来ていくものでもありません。でも、あるとき大きな形となって発揮されるようです。
この繋がりは人にだけあるのではなく、会社にも同じことが言えるのだと感じました。会社と会社の繋がり、会社と人の繋がり、人と人との繋がりの手助け、というような信頼関係が会社を成長させ、あるときそれが大きな力になって、皆に尊敬される会社になるのではないかと思います。
aegifはまだ設立したばかりで、会社としての信頼関係を十分に培っていません。しかし、反面、徐々に信頼関係を構築し始めており、色々な局面でその端緒を感じることが出来ます。
aegifの経営理念を継続して、今の気持ちを忘れずに企業活動を行っていけば、いつか必ず大きな信頼関係の輪を構築できる立派な会社になります。そして、あるときそれが大きな形となって発揮されるのだと信じています。