2007年7月11日水曜日

フジ子・ヘミング

つい最近、フジ子・ヘミングの特集番組をやっていました。

特集番組の中では十分演奏を聴くことが出来なかったので、早速「奇蹟のカンパネラ」と「カンタービレ」という2枚のアルバムを買いました。その音色は深く切ないような本当に素晴らしいものでした。

実は私も15年間弱、ピアノを習っていました。私が最後に発表会で弾いた曲はショパンの「ノクターン 作品9-2」でした。「奇蹟のカンパネラ」の8曲目に収録されています。

私としては毎日何時間もの練習を何ヶ月も続けて、本番ではかなり上手に弾いたつもりでいましたが、彼女の弾くそれとは全く別の曲のようです。同じ譜面でも解釈や経験、そもそも歩んでいる人生が異なると本当に違うものなんだな、と感心しました。

そこで、私と彼女の差について考えてみました。

彼女は才能があり、天才と言われ、音楽に関する高度な教育を受けています。東京芸大で音楽を学び、在籍しているときから様々な賞を受賞していますし、その後ベルリン国立音楽学校を優秀な成績で卒業しています。

しかし、私と彼女の大きな差を説明するのに才能や天才や教育の差という事だけでは何となく足りないような気がします。

私が彼女の音楽を素晴らしいと思い感動した一番の理由は、彼女が音楽に対する強い信念を持ち、様々な困難にあっても乗り越えてその信念を70を過ぎた今まで継続させている事なのだと思います。そしてその事によって、彼女は陽の目を浴びて成功し、ピアノの演奏だけではなくその生き方に対して皆から高い評価を得て尊敬されています。

まさに、以前フジイメセンの「信念と継続」に記載した通りです。

私はピアノに対して才能もなく、天才でもなく、音楽に関する高度な教育を受けたわけでもありません。またピアノに対する確固たる信念もなく、継続できませんでした。ピアノを続けていた理由は完全に惰性で、大学受験のためという都合の良い言い訳が出来たタイミングでやめてしまいました。

私は、人生の貴重な時間や労力を惰性のために費やしてしまうことも、適当な理由でやめてしまうことも、もう二度としたくないと思います。ピアノを習うならもっと真剣に習っておけばよかったですし、そうでないなら何かほかの事に真剣に取り組んでいればよかったと思い後悔しています。

自分の信念を強く持ち、継続させて、いつか彼女のように成功したいと改めて思いました。

家に当時のピアノがまだ置いてありますので、今のこのこの気持ちを忘れてしまわないようにたまには弾いてみようと思います。

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